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外國人學習「ら抜き言葉」不會混亂嗎?

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質問

問題

「ら抜き言葉」はかなり広く使われています。外國人に対する日本語教育でも教えた方がいいですか。

「ら抜き言葉」使用範圍很廣。以外國人爲對象的日語教育也教一下會比較好嗎?

外國人學習「ら抜き言葉」不會混亂嗎?

回答

回答

「ら抜き言葉」とは?

「ら抜き言葉」是指?

次の言葉のうち,「ら抜き言葉」はどれでしょうか。

下面的詞語中,哪一個是「ら抜き言葉」?

⑴帰れる

⑵しゃべれる

⑶眠れる

⑷着れる

一段動詞やカ変動詞の可能形が「~られる」ではなく,「~れる」となっていると,それらは「ら抜き言葉」と呼ばれます。この中で,「ら抜き言葉」は,⑷の「着られる」の「ら」がない「着れる」だけで,ほかはもともと可能形が「~られる」にはならない五段動詞です。

一段動詞和カ変動詞的可能形不是「~られる」,而是「~れる」,這就叫做「ら抜き言葉」。在這些詞語中,「ら抜き言葉」只有⑷的「着られる」沒有「ら」變成「着れる」,其他詞本來就是五段動詞,可能形不能變成「~られる」。

しかし,何を「ら抜き言葉」と呼ぶのかを実は知らない人,無意識に使っている人は,日本語を母語とする人の中でも少なくありません。

但是,在日語爲母語的人中,實際上不知道什麼是「ら抜き言葉」以及無意識使用的也大有人在。

日本語學習者は教えた通りに日本語を學ぶわけではない

日語學習者並不是按照所教的那樣學習日語

日本語教科書のほとんどは,動詞の可能形として,「ら抜き言葉」の「食べれる」「來れる」ではなく,「食べられる」「來られる」を紹介しています。そして,五段動詞の場合は「帰る→帰れる(kaeru + eru)」,一段動詞の場合は「食べる→食べられる(taberu + rareru)」というように,可能形の作り方を示しています。ところが,學習者は教える側の期待通りに覚えるとは限らず,気が付くと「食べれる」「來れる」を使っていた,というようなことがしばしば起こります。

日語教科書基本上講動詞的可能形,介紹的不是「ら抜き言葉」的「食べれる」「來れる」,而是「食べられる」「來られる」。然後,五段動詞的變形是「帰る→帰れる(kaeru + eru)」,一段動詞的變形是「食べる→食べられる(taberu + rareru)」,以這種方式展示了可能形的變形。但是,學習日語的人並不一定是按照教學所期待的那樣謹記規則,經常會發生這樣的情況,當注意到的時候已經使用了「食べれる」「來れる」。

學習者にしてみれば,動詞の種類によって活用形を覚えるのは面倒なので,簡単に済ませてしまうということもあります。たしかに,「帰れる」がいいのなら,「食べれる」も大丈夫と考えるのも無理はありません。

從學習者一方來看,根據動詞的種類來記住活用形很麻煩,但也有簡單掌握的方法。確實,如果「帰れる」是可以的,自然也會認爲「食べれる」也是可行的。

そして,教室外での言葉の使われ方も,學習者の言葉の學び方に大きな影響を與えます。「食べれる」や「來れる」を使う日本人は多く,特に若年層の多くはそれらを「正しい」と認識しています(文化庁國語課『平成27年度 國語に関する世論調査』,旺文社生涯學習検定センター「『第3回ことばに関するアンケート』集計結果」)。日本人に「おさしみ,食べれる?」などと問われることは多いでしょうし,學習者が「來れる」を會話で使っても,周囲の人に訂正されることはあまりないでしょう。

然後,教室之外使用詞語的方式,對學習者學習語言的方式也有巨大的影響。使用「食べれる」和「來れる」的日本人很多,特別是年輕一代的大多數都認爲這是“正確的用法”(文化廳國語課《平成27年度 關於國語的輿論調查》旺文社生涯學習檢定中心「《第3屆關於詞語的問卷調查》統計結果」)。日本人常常會被問「おさしみ,食べれる?」這類問題吧,所以即使學習者在對話中用了「來れる」,周圍也不會有什麼人來糾正你吧。

外國人學習「ら抜き言葉」不會混亂嗎? 第2張

「ら抜き言葉」にどう向き合うか

如何對待「ら抜き言葉」

このような現実を反映し,「ら抜き言葉」を紹介する初級教科書も國內外で出版されています(阪野永理ほか『初級日本語 げんきⅡ』)。ただ,「この形もよく使われる」という紹介にとどまり,使うための練習はありません。

反映出如此的語言現象,並介紹了「ら抜き言葉」的初級教科書也在海內外出版(阪野永理等《初級日語元氣Ⅱ》)。不過,該書只停留在介紹“這樣的形式經常被使用”的層面,並沒有使用句型的練習。

実は「ら抜き言葉」は,動詞によって使用率や「正しいかどうか」という意識に差があります。「食べれる」「來れる」などと違い,「考えれる」「信じれる」などは,使用する人も「正しい」と考える人も,それほど多くはないのです。その上,話し言葉に比べて,書き言葉での「ら抜き言葉」の使用率は高くありません。

實際上「ら抜き言葉」,根據動詞的使用率和“是否正確使用”的意識是有差別的。與「食べれる」「來れる」不同,像「考えれる」「信じれる」就沒有那麼多人使用或認爲是“正確用法”。並且,與口語相比,書面語的「ら抜き言葉」使用率並不高。

そういった現狀の中で,例えば,留學生がレポートに「…と考えれるが,…。」と書いた場合,読み手はどう思うでしょうか。この一言から,文全體が稚拙だという印象を受けてしまうかもしれません。先述した教科書には,必要な情報は提供するが,學習者が不用意に「ら抜き言葉」を使うことから生じうる,このような危険性は避けよう,という作成者の意図がうかがえます。

按照這樣的現狀,比如說,留學生在報告中寫了「…と考えれるが,…。」的情況,讀的人會怎麼想呢?從這一句話可能就會給人一種全文幼稚拙劣的印象。在上述所提到的教科書裏,雖然提供了必要的信息,但作者的意圖是希望學習者能避開不小心使用「ら抜き言葉」所產生的危險性。

言葉の変化,地域差などはどの言語にも存在しますが,だれもがそれを自覚しているとは限りません。日本語學習者にしても,日本語についてはもとより,自身の母語についても変化や異なりを意識したことがないという人もいるでしょう。「ら抜き言葉」は教えない,と決めることも一つの方法ですが,これをきっかけに,日本語を學習する人もそれを助ける人も,自らの規範意識や言語の使用実態に気づき,何をどう使用するかを考えることもできます。そうすることは,雙方にとって,言葉に対する理解を深めるための貴重な機會となるのではないでしょうか。

詞語的變化,地域的差別等在任何語言都存在,但並不是所有的人都能意識到這一點。即使是學習日語的人,對日語甚至是自己的母語,也會沒有意識到變化和不同吧。決定不教學「ら抜き言葉」固然是一個方法,但以此爲契機,無論是對學習日語的人還是幫助學習日語的人,都能意識到自己的規範意識和語言的使用實態,思考如何使用。這樣做的話,對雙方來說,不都是加深對理解語言的的寶貴機會嗎?

翻譯爲滬江日語原創,未經授權禁止轉載。

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